第55回全国会員大会 郡山大会
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HOME > 「音楽の都」郡山の歴史と「郡山八景」



「音楽の都」の源流〜こころの言葉
安積山 かげさへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに

  安積山は郡山中心部の西方に見える連山の右端に位置する山で歌枕として知られています。この「万葉集」に載せられた和歌は安積采女が葛城王に贈ったとされ、古代歌謡に起源を持ちます。いにしえの郡山の人々が口ずさんでいたものなので、この歌を詠むと自然とメロディが湧き上がってきます。「音楽の都」郡山の源とも言われている歌です。

 有史以来奥州の中核都市として栄えてきたまち郡山は、江戸時代に儒学者安積艮斎を生みました。艮斎の「仁以って本と為し、義以って用と為し、礼楽以って羽翼と為す。」は、礼制と音楽によって社会を浮揚させようという意味です。この言葉は「音楽の都」郡山の心の礎とされています。
終戦から復興へ〜「音楽都市」郡山
 米軍の爆撃により夥しい市民が殺傷され経済的にも疲弊した終戦直後の郡山、郡山文化協会が育成した「楽に集う会」(女声合唱)が、音楽を通じてすさんだ人々の心に訴えるべく立ち上がり懸命に歌い市民を勇気付けました。後に郡山ローリング混声合唱団と発展し十数年間音楽運動の推進力となりました。1949年には国鉄郡山工場男声合唱団が結成され、全国レベルの活躍を見せました。53年、NHK交響楽団公演が国鉄郡山工場食堂で行われ聴衆5,000人を集めました。この演奏会を機会に「音楽の途中下車」という合言葉がおこり、市民会館建設運動の端緒となったのです。

 58年、麓山公園の一角に2,000余人を収容する市民会館が建設されました。世界的なオーケストラの公演が相次ぎましたがすべて満席となりました。成功の裏には、郡山国際フィルハーモニー協会を組織し、まちぐるみで成功に導くという姿勢があったと言われます。そして「音楽都市郡山」「東北のウィーン」という呼称が定着しました。59年、会員6,000人を有する郡山勤労者音楽協議会が結成され、「良い音楽を安く、多くの人に」というスローガンで音楽例会を開催しました。62年には安積フィルハーモニー・オーケストラが発足、現在の郡山市民オーケストラへと継承されています。
音楽のあふれる街づくり運動〜百万人の大合唱
 1964年、郡山市では市民の相次ぐ音楽運動にこたえ、音楽のあふれる街づくり運動の一つとして「十万人コーラス」運動を実施した。これは毎月第三金曜日をコーラス日と定め、街頭で市民がコーラスを歌い、広めるものでした。1万枚を超す楽譜を毎月印刷し各職場・団体・学校などに配布し、必要によっては国鉄の男声合唱団員などの音楽指導者がその指導にあたりました。市教育委員会が主唱し文化団体・婦人団体・合唱団体などを協力団体とし広範に活動を展開しました。65年大合併を機に「二十万人の合唱」と改称、市内パレードを実施するなど活動は盛り上がりました。

 71年、東宝映画会社は、これらの活動に注目し、郡山が音楽のまちへ生まれ変わる姿を描く映画「百万人の大合唱」を企画し郡山市を舞台にロケーションをしました。作曲家山本直純特別出演、主演俳優には若林豪・酒井和歌子が出演し、72年、全国の映画館で上映されました。

 
「百万人の大合唱」のサウンド・トラック盤」
http://www13.plala.or.jp/t-shirou/mati2.html
「音楽の都」郡山〜象徴的存在の湯浅譲二・本名徹次
 現在、郡山市民オーケストラ、アマデウス室内管弦楽団、郡山女声合唱団、郡山ジュニアフィルオーケストラ、郡山少年少女合唱団などの優秀なアマチュア音楽団体が活動を充実させています。安積黎明、郡山二中はじめ市内学校による音楽活動は全国レベルの水準を保っています。さらには、世界を舞台に郡山出身の湯浅譲二・本名徹次が活躍し、郡山の象徴的存在として尊敬されています。

 戦後郡山に蒔かれた音楽文化の種は志ある人々によって育まれ今や大木となり、枝葉を四方に伸ばして生い茂っています。2006年(社)郡山青年会議所では、(社)日本青年会議所全国会員大会郡山大会において笑顔溢れる「音楽の都」郡山を全国に発信し、郡山から全国へと笑顔の輪を広げていくための運動を展開しています。今後「音楽の都」宣言の採択と、市民の笑顔が溢れる音楽堂の建設実現が期待されています。



郡山は、安積疏水で発展したまちと言いますが、実際は有史以来重厚な歴史を持っているまちです。江戸時代の郡山は、奥州街道の大宿場町として発展し、まちの中央(令の陣屋)には旧安積郡の三台官所が置かれました。当時郡山は二本松藩が治めていて、代官を通じて支配を受けました。現在の金透小学校敷地には、安積郡内の村々の蔵があり、郡山は昔から物流の拠点として栄え、経済力が飛躍的に発展し、郡山が無ければ二本松藩財政も成り立たない程でした。
  郡山の商人の間には俳諧などの文化が栄え、風流心が培われました。その中で、江戸時代の郡山の人々が、春・夏・秋・冬、朝・昼・夕・夜の風景の中で、特に景色のよい所を選び、「郡山八景」と名づけ称揚しました。当時の庶民のまちを愛する気持ちが八景を生むに至ったのです。みなさんも八景をたどってみましょう。